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ロルフィング誕生の経緯

ida_youngアイダ・ロルフ博士は1896年、ニューヨークで生まれました。彼女は若い頃、旅の途中に馬に蹴られて高熱を出し、肺炎の様な症状が現れました。担当医は治療の経過に納得できず、オステオパシー医を呼び入れて治療しました。若き日のロルフ博士は、そのオステオパシー治療のおかげで、ようやく息が出来るようになった経験をしました。家に戻ってからは彼女の母親が、トーマス・モリソンなる盲目のオステオパスの所へ連れて行き、ロルフ博士はモリソン医師と友達になりました。そこで、“体の構造がその機能を定義する”と言うオステオパシーの原理に関心を持つようになったのです。

ロックフェラー研究所で働きながら、コロンビア大学医学部より生化学の博士号を取得した1920年代始めに、ホメオパシーとの出会いがありました。ジュネーブのシュミッド医師に治療を受けていた友人から、“慢性病”と呼ばれているものを理解する様にアドバイスを受けたロルフ博士は、ジュネーブでマテリア・メディカと言うホメオパシーの書物に没頭しました。不完全に治癒した種々の病気が積み重なり、慢性化した症状を呈して治り難くなったものを、現在の問題から取り扱い始め、順々に玉葱の皮を剥がす様に癒して行き、最も古い問題にまで遡って癒しきる、ホメオパシーの創始者ハーネマンが “治療の法則” と呼んだものをそこで理解した様です。

この様に、オステオパシーとホメオパシーがロルフ博士の初期の身体観に大きく影響したようですが、最も根底にあるのはヨガの考えでした。1920年代を通してピエール・バーナードと言うヨガの師についてヨガを学ぶ中で、身体に働きかける事を通じて、感情的、精神的にも人を全人的に向上させると言う考えに触れ、将来のワークの礎になるビジョン“身体がより良いバランスを獲得しながら伸びていく事で、人間はより高いレベルに導かれる”が確立されて行ったと思われます。

ロルフ博士はひょんなことから人々にワークを施すようになり、施術としてのロルフィングが発展してきました。1940年ごろ自分の子供にユニークな音楽教育を受けさせたいと考えていた所、事故でピアノが弾けなくなった音楽教師に出会い、彼女の手を治す代りに子供に音楽を教えて貰う様に提案した事が始まりでした。初めはロルフ博士自身が行っていたヨガのテクニックで、動きを通して指導していたのですが、4回ぐらいで、再び音楽が教えられるほどに回復したのでした。それ以来、ロルフ博士の家の玄関は、他所では助けを得られなかった人々で埋め尽くされるようになったのです。
そして、指導の傍らで、他のエクササイズのシステムを学び吟味して、自分の理解に沿って使えそうなものは取り入れて行きました。ヨガのテクニックでは、関節が開いて伸びるよりも、縮んでしまう事の方が多いのに気付き、何か他のものの必要性を感じていました。そんな折、エミー・コクランと言う女性のオステオパスと出会ったのです。コクラン女史が霊感を通して、ラッシュと名乗る独立戦争当時の医師より授かったと言う技術を見たロルフ博士はコクラン女史を追ってカリフォルニアへ行き、一年後に再びニューヨークで人々への指導を再開しました。この時期に“柔組織をあるべき場所に置いて、なすべき動作をさせる”と言うロルフィングの最初の原理が発展してきたのです。
その後も様々なアイデアやテクニックを探求しており、ジャネット・リー女史のワークや、アルフレッド・コゼフスキーの一般意味論にはかなり興味を示していた様です。しかしながら、重要な点はロルフィングがそれらの技術の混ぜ合わせではなく、ロルフ博士独自の理論の上に成り立つオリジナルの技術であると言う事です。ロルフ博士には古今の様々なものを理解する能力と、それらを一歩先へ進める才能があったのです。 一般意味論のセミナーで知り合った、サム・ファルカーソンと言う人物の勧めでロルフィングを教えるようになった事が、ロルフィングを世に出す大きなステップになりました。当時は今と違って一週間程度のセミナーがカイロプラクターやオステオパスを対象に行われていました。それが1年後にはシカゴからテキサスそしてロサンゼルスにまで、全米各地で教えるようになっていたのでした。

ただ、ロルフィングが独自の観点に立脚し、それ自身が全体性を持って完結した、独立したテクニックである事が理解されなかった事をロルフ博士は不本意に思っていました。ロルフ博士の関心は症状を無くす事よりも、より発達した人間を見出す事にあったにもかかわらず、多くの場合、治療のための小道具的な扱いを受けていたのです。そのためロルフィングを医療のプロフェッショナルに教える事を止めて、ロルフィングのためのスペシャリストを育成する事にしたのです。その頃から教え方も変え、順序を追って施術される10回のセッションで、身体全体のバランスをより重力に即した方向へと変って行く様に構成されたマニュアルを完成させました。1950年代始めの事です。

boulder我々ロルファーが 『レシピ』 と呼んでいるこのマニュアルに関しては別ページにてお話しましたが、これはロルフィングのエッセンスをマニュアルと言う形の中に凝縮した、ロルフィング言語とでも言うべき代物です。しかし、この様にマニュアル化されると、今度はロルフィングの技術を盗もうとする様々な企てに、ロルフ博士はまたもや、がっかりさせられたのです。マニュアルを表面的にまねる事は容易ですが、基本となる考えを理解しないまま、このマニュアルを使用される事を憂いていたのです。
1960年代に入ってゲシュタルトセラピーの創始者フリッツ・パールズに施術した事がきっかけで、エサレン研究所に出向く事になったロルフ博士は、そこで種々雑多なバックグラウンドを持つ人々に解剖学的、生理学的基礎とマッサージ技術を習得させた上で、ロルフィングを教える様になりました。これを機にロルフィングはメジャーデビューを果たす事になったのです。 1969年からエサレン研究所を通してロルフィングの効果についてリサーチが行われ始め、UCLA に於いてもバレリー・ハント博士などによる多様なリサーチの結果、科学的にもロルフィングの効果の程が証明されました。
徐々に増えてきたロルファー達によってG.S.I.(ギルド・フォー・ストラクチュアル・インテグレーション)が結成され、1973年にはコロラド州ボールダーを本拠地として The Rolf Institute ® of Structural Integration (米国ロルフ研究所)へと発展して行きました。1988年にロルフ研究所からG.S.I が分裂し、現在ボールダーでは、ロルフ研究所とG.S.I と言う2つのトレーニング機関が存在しているほか、ロルフ研究所の支部が世界各地にあります。その他、ロルフィングのトレーニングを受けた人が独自の組織を設立した機関が幾つかあり、それぞれに世界各地で施術者養成のトレーニングを行っています。

最近では、S.I. (ストラクチュラル・インテグレーション)の名の下でいろんな組織が集った協会も設立され、組織間の交流も図られています。日本では、NPO法人、日本ロルフィング協会が日本のロルファー達をまとめています。

(注) ROLFING®(ロルフィング), Rolfer™(ロルファー)と言う名称、並びに小さな男の子のロゴマークは、 米国 The Rolf Institute®(ロルフ研究所)ならびに日本ロルフィング協会の登録商標で、該当団体に所属するメンバーのみに使用が許されています。


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